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離陸時の背景とのバランスが美しい。伊勢湾を名古屋港へと向かう船舶の往来も激しく、絵作りが楽しい。エアボーンとのタイミングにもよるけれど、可能性の広がりが大きいと感じる。あえてスカイデッキの根本部分にスタンバイして太陽方向との重なりを狙った。
セントレアでの飛行機撮影セミナー(初級・中級・上級)の3コマを終えてスカイデッキへ出てみると、期待通りの夕暮れ空が広がっていた。「これこれ、これがセントレアでの撮影の醍醐味よ」と思わず微笑んでしまう。RWY36から離陸した機がポジティブクライムしながら大きく左旋回してゆく。すると西の空と絡む。ファインダー越しに、見えなくなるまで機を追いかける。
三重県側の工場群から出る水蒸気などが、いいアクセントになっている。「日中に曇っていた日には、気持ちを切らずに夕暮れを待つ」。これはセントレアがベースだった名古屋勤務時代に培った自分なりのセオリー。この日も期待通りの展開が広がっており、心の底から嬉しくなった。
夕暮れ空がもたらす世界をできる限り感じたい。それは、ヒコーキの有無に関わらずだ。
完全逆光ではあるが、ハイキーに捉えてみる。第二滑走路が沖合にできると雰囲気は変わるだろうけれども、写真の本質である記録性という意味でも、この状況をたくさん撮っておきたい。
スポットインやプッシュバックなど、転回時の動きによっては沈みゆく太陽や残照が機体に映り込む。その瞬間を狙って露出も決めておき、シャッターを切る。セントレアは写真脳を刺激するシーンがたくさん展開されるので、エキサイティングなのだ。
知多半島側の対岸からセントレアを見渡すには、車での移動が必要となる。セントレア内のレンタカーへのアクセスは1階に降りるだけなので利便性が非常に高い。日没後のソラの色の変化に期待を寄せてジッと待っていると、アプローチ機が現れた。三重県側の陸地はかろうじて海岸線と山の稜線が見える程度だが、この方が奥行きがあっていい。なんでも見えすぎない方がいい場合もあるし、すべて雰囲気として捉えればいくらでも写真にできる。
あえて手前に常滑の街を入れることによって、セントレアがもたらす雇用や経済的効果について思いを巡らせる。物流が生まれ、関係人口が増えることによって、少なくとも空港ができる前とは活気が大きく違うだろう。特にセントレア開港時を知っている身としては、改めて感慨深い想いに至る。もうこれほどの大きな空港が、新たに日本に誕生することはないだろう。
スカイマークのピカチュウジェットBC1とソラシドエアのナッシージェット。その2機がほぼ同時に出発する光景はなかなかのレアシーンと言えよう。スカイデッキに出てきたらこういうシーンが展開していたので、実は慌ててカメラを出して撮っている。
ターミナルビルの一角がL字になっている空港はいくつかあるが、ボーディングブリッジが青色なので、ANAらしいブルー系と白とグレーで世界をまとめてみる。こういう時はかえって曇り空の方が閃きがある。「同じスターボードサイドでも、日の丸の位置が違うんだなぁ」と独り言を呟きながら。
使用滑走路が36でも18でも、離陸シーンでは後追いショットが中心になるが、視程がクリアな日は山肌までクッキリ見える背景をバックにエンジンブラストを狙っても良いし、望遠ズームから超望遠まで幅広く楽しめるのがスカイデッキの特徴だろう。そして、大切な人との別れ。それが前向きなものだとしても、人の背中には寂しさが滲むもの。そんなシーンもきっと撮れそうな可能性を秘めたポテンシャルを、普段から感じながら撮ると“いざ!”という時にキマル。
「動いているものを写し止めるのは簡単だ!?」。それは、「止まっているボールを打つんだから、ゴルフは簡単だ!」に通ずるものがあるのだが、頭で考えているようにはいかないものである。しかしながら、動いているものを瞬間で切り取るのが写真とはいえ、本当にそれで良いのだろうかとふと頭をよぎる。つまり、“動感表現への探究心が芽生える”時と、なんとなくでも良いけれども“自分でもシックリくる撮影ができた”と自惚れるタイミングが、どこか近いように思っている。つまりヒコーキ写真道としては、ポジティブクライムに入ったといっていい。
夢が詰まったドリームリフター。日本で撮影できるのはセントレアだけ。それだけでもセントレア遠征に行く動機になるというもの。出逢いには多少の運も必要ではあるが、そのぐらいのギャンブル性を楽しむ余裕があった方が幸せな気分になれそうだ。せっかく出逢えて、目の前をタキシングしていくのに、モノクロームにして切り取るのはやや変わり者だが、自由に、楽しく、思いのままに撮ろう。
曇天時。明るくフワッとハイキーに撮るか、シックにローキーで攻めるか。なぜかセントレアのオレンジ色のラインがことのほか目立つ印象があり、そのオレンジ色に深みを持たせるためにローキーで狙った。おそらくモノクロームで階調(トーン)を意識するならば、このぐらいの露出がちょうど良さそうだ。
「ヒコーキがいない写真は作品として成立するのか」もしくは「フォトコンの審査員にはヒコーキのいない写真は響くのか」。そのような内容の質問を、セントレアでの飛行機撮影セミナーでの質疑応答時に受けた。俗にいう「感じさせる写真」というものだ。鉄道でいえばホームや信号機、踏切やレールに相当するもの。空港にも限りなく潜んでいることは想像に難くない。写真表現と切り取りを、おもいっきり楽しもう。それにしても「MD90」がしっかりA320やB737と変わらないペイントで存在しているのが、ちょっと微笑ましい。
セントレアの西側には海(伊勢湾)、そして山(鈴鹿山脈)と実にダイナミックな世界が広がっている。寄るもよし、引くもよし。我々にとって大きな存在のヒコーキも、地球規模の大自然の中では時に小さく見える。がしかし、その存在感は揺るぎないものであり、ヒコーキを夢中になって追い続けるだけで、心の充足感が得られるのだ。