特集/本誌より

新空港オープンから6年。かつてのトルコの玄関口 イスタンブール・アタテュルク空港のいま

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南北の滑走路は廃止され緑地に。現在、そして今後のアタテュルク

 空港自体はまだアクティブでも、かつての旅客ターミナルはもう本来の搭乗施設として使われることはない。だがターミナルの外観を見る限りは、PBBも含めてほぼ現役時代のままとなっていた。なお旅客ターミナルは「ターミナル・イスタンブール・プロジェクト」と呼ばれる、世界有数のテクノロジーや起業の中心地とする計画がある。

 反対に大きく姿を変えていたのが滑走路で、3本あったうちの平行する2本(RWY35L/17R、35R/17L)はすでに廃止。今はすべてのフライトが残りの1本(RWY05/23)を使用する。廃止された平行滑走路には、コロナ禍にわずか2か月足らずで建設されたパンデミックや地震といった緊急事態用の病院があり、コロナにより命を落とした医師、ムラト・ディルメネル氏の名が付けられている。さらに左手には2023年、新たにモスクが建設された。またトルコ政府はこの平行滑走路一帯の緑地化も計画していて、モスクの北側には無数の木が植っているのが見える。

かつては目の前に滑走路があり、機体を間近に見ることができたこの場所だが…(2016年撮影)
Photo:Kashiwa Hiroyuki
現在では滑走路の面影は全くなく、目の前には建物が立ちはだかる。写真左手が2023年に建設されたモスクだ。
同じ場所から右手方向(南の方角)を望む。かつての滑走路上に最初に建設された建物が、写真の緊急事態用の病院。ドクターヘリや救急用ヘリの発着用なのか、ヘリポートも備える。
北の方角を望む。写真では隠れて見えないが、左端の建物の向こう(かつての平行滑走路の西側)にあるプライベートジェットの駐機エリアは、現在も使われている。こちらの方角は緑地化の計画に基づき、植樹が実施されていた。

かつての撮影の名所に想いを馳せながら…しばしプライベートジェットを撮影

 さて、今回空港を眺めた場所は、かつてRWY35R/Lを発着する機体を間近でスポッティングできたアタテュルクの撮影の名所、「フライイン・モール(FlyInn Mall)」。ベストポジションにあるレストランは閉業していたが、その横にあるカフェ、およびフードコート利用者が自由に使えるテラス席は、今もそのままだ。

 ただし平行滑走路が廃止されたがゆえ、かつてのようなスポッティングは楽しめない。かろうじてRWY05への着陸機が遠目に撮れる程度で、地上を行く機体も動きこそは見えるものの、木々が邪魔となりスポッティングはできない。

 とはいえ、プライベートジェットの発着は前述の通り1日数便はある。新空港やサビハ・ギョクチェン空港を利用する機体もあるが、やはり市内に最も近いアタテュルクへやってくる機体が圧倒的に多い。筆者が訪れた時はたまたまタイミングが良かったこともあるが、1時間ほどの滞在で離着陸機を合わせて6機を見ることができた。

2024年現在もロシア国籍機の乗り入れが認められているトルコ。プライベートジェットでも同国籍の機体の発着は多い。写真は帰り際に道路沿いから撮影した、ツポレフTu-204のプライベートジェット機。

 コーヒーを片手に、かつての玄関口に想いを馳せた1時間。視界の向こうに佇む旅客ターミナルがどこか寂しげに見えたが、同時に少ないプライベートジェットのみながら、今も「イスタンブールの玄関」としての役割を果たすアタテュルクの姿に、どこか感銘を受けた。

RWY05/23(手前のボンバルディア・チャレンジャー850がいる場所)の南側には、放置された機体が並ぶ“飛行機の墓場”的なエリアも。写真手前はスロベニアのオーロラ航空(2009年運航停止。ロシアの同名の航空会社とは無関係)のMD-82・登録記号S5-ACD。奥はトルコのボスフォラス・ヨーロピアン・エアウェイズが運航していたA300B4(登録記号TC-OIM)だが、タイトルが剥がれ落ち、以前のオペレーターであるスーダン航空の文字が見える。
トルコ最大の都市、イスタンブールの玄関口といえば、以前はヨーロッパ側の市内に近いアタテュルク空港だった。2018年、巨大な新空港にその地位を奪われた、かつてのターキッシュ エアラインズのハブ。6年後の現在の姿を見に、現地へ向かった。

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