特集/本誌より
【日航機墜落事故から39年】8月12日に思う、航空と安全のこと。
毎年8月がくると、520名という犠牲者を出した日本航空123便の墜落事故のことを思う。
夏の旅行で、出張で、あるいは大切な人に会うために搭乗していた乗客たちと、
最後の瞬間まで職務と向き合ったクルーたちの無念に、心を寄せずにはいられない。
もちろん航空史の事故はこの123便だけではなかった。
そうした全ての教訓と向き合ってこそ、航空の安全は作られるのだ。
※本記事は月刊エアライン2023年10月号から転載したものです。
旅客機に乗ることを、 はじめて怖いと思ったあの夏
子供の頃から、旅客機に乗るのが怖いと思ったことはなかった。空を飛べる理由はうまく説明できなくても、毎日たくさんの旅客機が普通に飛んでいるのだから、怖いと思う理由はない。さらに、航空雑誌や入門書を読むようになってからは、旅客機に施された思いつく限りの安全策の徹底ぶりに舌をまいた。その最高峰が747で、まったく死亡事故がなかったわけではないが、その原因は前縁フラップの出し忘れによる失速や、離陸許可が出たと誤解したことによる衝突、あるいはテロやコース逸脱による被撃墜など、機体自体の「安全神話」を覆すものではなかった。
ところがJAL123便の墜落事故のあと、はじめて旅客機に乗るのが怖いと思った。
メーカーによる不適切な修理が原因で圧力隔壁や垂直尾翼が吹き飛んだだけでなく、自慢の四重油圧系統も一気に失われた。そんな理不尽なことがありえるのだとしたら、設計者の執念すら感じられる安全策も、パイロットの不断の努力も、まったく無力ではないか。
とはいえ、旅客機に乗らないわけにはいかない。事故のあと、はじめて旅客機に乗ったときの緊張感には自分でも驚いた。そして目的地に着いたときに、無事であることにほっとしたことにも。
重い、暗い、辛い気持ち。大切なのは、決して忘れないこと
しかし、喉元をすぎればなんとやら。すぐにそんな緊張感もなくなってしまったが、それは運航の当事者にしても同じだったのかもしれない。2000年前後からJALグループは重大インシデントを頻発するようになり、国土交通大臣から業務改善命令を受けた。そこで外部の専門家による第三者調査委員会が設置され、2006年4月には安全啓発センターが開設された。ここにはJAL123便の残骸や乗客の遺品などが展示されている。
僕は開館直後に取材で訪れたのだが、とても重い気持ちになった。しかも、通常は撮影禁止なのに、取材ということで撮影を許可された。正直に言えば写真なんか撮りたくなかったし、記事を書いたあとはその画像フォルダを開く気にもならない。それどころか、そのフォルダ名を見ただけで重い気持ちになる。
だが、そんな気持ちを忘れずにいることこそが、安全対策の基本なのではないかと思う。もう重い気持ち、暗い気持ち、辛い気持ちにはなりたくないし、二度と安全啓発センターにも行きたくない。
しかし、その画像フォルダは今も僕のPCにあり、開かなくてもその恐ろしさを思い出させる。500を超える、失われた生命の重さだ。
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