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キャセイパシフィック航空、歴代制服で福岡就航60周年を祝う
福岡線の開設から60年を迎え、キャセイパシフィック航空は福岡空港で記念イベントを開催。歴代制服を着用したグランドスタッフが登場し、香港と福岡を結ぶ路線の節目を華やかに祝った。
文:柏 博幸
写真:柏 博幸

キャセイパシフィック航空の福岡就航60周年と日本路線の展開
9月2日、キャセイパシフィック航空は福岡空港の国際線ターミナルにて、福岡就航60周年を記念したイベントを開催した。初代から現行までの歴代客室乗務員の制服を着用したグランドスタッフが参加し、撮影や搭乗手続きのサポートなどを行なった。
1946年9月24日に設立されたキャセイパシフィック航空は、1959年に羽田へ乗り入れ、1960年に大阪、そして1965年9月2日に3番目の日本路線として福岡線を開設。1966年には名古屋、1990年には新千歳へとネットワークを拡大し、現在は香港から羽田、成田、関西、中部、福岡、新千歳の5都市6空港へ乗り入れている。

【1946-1950年】
初代ユニフォームは、ネイビーのスーツと帽子が特徴的なミリタリー調のデザイン。これは、“ベッツィー”の愛称で親しまれたダグラスDC-3型機を運航していた時代のスタイル。
【1950-1954年】
控えめで上品な印象のワンピース型。スカートの裾丈はくるぶしから約13cm(5インチ)と、当時としては長めのデザイン。
【1954-1962年】
スマートな印象を与えるダークブルーのスーツは、DC-4やDC-6、エレクトラなどの4発プロペラ機が活躍し、キャセイパシフィック航空が東京や大阪に就航していた時代に着用されていたユニフォーム。
【1962-1969年】
プロペラ機からジェット機の時代へと移行した頃、ユニフォームはチャイナドレス風の白いブラウスに赤いスカートとジャケットというスタイルに刷新された。
(写真左から)

【1969-1974年】
ミニスカートが大流行していた当時、ユニフォームも鮮やかな赤のミニ丈ワンピースにジャケットというスタイルに。フライトアテンダントたちに高い人気を誇った。
【1974-1983年】
世界的に著名なファッションデザイナー、ピエール・バルマンが手がけたユニフォーム。波模様をあしらったサイケ調のブラウスは、ひと目でキャセイのユニフォームとわかる個性的なデザインだった。
【1983-1990年】
エルメスがデザインを手がけたこのユニフォームから、帽子が廃止された。以降、エレガントなスタイルを継承しつつ、シニアスタッフはネイビー、ジュニアスタッフはレッドといったように、役職に応じたカラー分けが導入されるようになった。
【1990-1999年】
ニナ・リッチがデザインを手がけたユニフォームは、長めのジャケットにシンプルなストレートスカートを組み合わせたスタイル。インナーのブラウスは、白い襟にリボン付きや開襟タイプなど、複数のバリエーションが用意されていた。
(写真左から)



福岡空港の国際線展開と地域の観光的魅力
福岡空港(当時の板付飛行場)における国際線の展開は、1964年7月1日に開設された沖縄線、同年9月1日の韓国線に続き、キャセイパシフィック航空による香港線が3路線目として加わったことで、さらなる広がりを見せた。
2025年3月20日には、主に国際線の離陸運用を担う第二滑走路が供用を開始。空港機能の強化とともに、国際ネットワーク拡充への期待が高まっている。
福岡は日本国内でも他都市とは一線を画す魅力を持つ。周辺には手頃な観光地が点在しており、綿密な旅行計画を立てなくても、週末などの限られた時間で気軽に訪れることができる。そのカジュアルさが旅のハードルを下げ、近年では人気の旅行先として注目を集めている。


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