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JAL 東京=デリー線就航60周年記念式典。就航当時の制服を着用した客室乗務員もお見送り!
当初は南回り欧州線の寄港地として、週1便運航されていたJALの東京=デリー線。就航60周年を迎え、羽田空港でセレモニーを開催した。来賓の祝辞をはじめ、南インドの古典舞踊の披露や乗客への記念品の配付、就航当時の貴重な史料などの展示が行なわれ、式典は大いに盛り上がった。

初のインドの就航地はコルカタ
JALは5月4日、東京=デリー線の就航60周年を記念し、羽田空港第3ターミナルの114番ゲートでセレモニーを開催した。
デリーへの定期便が就航したのは1965年5月4日。当時は南回り欧州線の寄港地として週1便運航されていた。ルートは東京(羽田)、香港、バンコク、ニューデリー、カラチ、カイロ、ローマ、パリ、ロンドンで、機材はダグラスDC-8-53を使用。その後、1996年10月3日の成田空港発と、同年10月6日の関西空港発、各週1往復でデリー直行便が就航し、マグドネル・ダグラスMD-11で運航された。

ちなみにJALのインド路線は1962年10月4日、東京(羽田)、香港、バンコク、カルカッタ、カラチ、クエート、カイロ、ローマ、フランクフルト、ロンドン線の寄港地としてカルカッタ(現・コルカタ)に週2便、コンベア880で就航したのが最初。同地には1972年まで寄港していた。さらにボンベイ(現・ムンバイ)へも1973年7月1日から1980年5月31日まで運航した。そして、2020年4月11日には成田=ベンガルール線を開設している。なお、現在の東京=デリー線は再び羽田発着となり、ボーイング787-9で週7往復の運航だ。


活発化する日印両国の航空需要をこれからも支え続ける
セレモニーには、日本航空株式会社 常務執行役員 路線事業本部長のロス・レゲット氏が登壇。「デリー線は1992年に構造改革の一環として休止しましたが、1996年にインドの新経済政策の定着と日本人旅客需要の伸びを受けて、直行便として再開しました。JALは現在、羽田=デリー間を1日1便運航しており、インド国内や他の航空会社とのコードシェアを通じて乗り継ぎの利便性を向上させています。今後も両国間の交流、商流、物流の拡大に貢献し、ビジネス機会の拡大と人々の円滑な移動を促進することを目指していきます」と語った。
また、来賓として招かれた駐日インド大使館 商務部 一等書記官のGaurav Udita氏や公益財団法人 日印協会 副理事長・常務理事の西本達生氏らが祝辞を述べたほか、南インドの古典舞踊が披露され、就航セレモニーを盛り上げた。

60周年の記念日となったこの日、JL39便はビジネスクラス11名、プレミアムエコノミー・エコノミークラス96名の計108名(幼児1名)の乗客を乗せて、114番搭乗口から10時55分にブロックアウト。11時13分にA滑走路(RWY16R)から離陸、同日16時49分(現地時間)にデリーのインディラ・ガンディー国際空港に到着した。

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