特集/本誌より

ダグラスDC-8 - 幕開けたジェットの時代、あふれる名門の熱情と先進性(1)

特集「Jet Airliner Technical Analysis」

文:浜田一穂
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DC-8
富士山を眼下に飛行する日本航空DC-8-55(JA8016/しこつ)。1960年から1987年にかけて、日航は計60機にものぼるDC-8を飛ばし愛用し、その美しいフォルムを今なお愛する人は多い。
Photo:Masahiko Takeda

 かつて旅客機メーカーの頂点に君臨したダグラスによる初のジェット・エアライナーDC-8は、367-80から派生したボーイング707にセールス面で後塵を拝した。名門ダグラスの苦悩は、この時から始まったと言っていい。しかしDC-8は決して失敗作などではない。ついに到来したジェット時代への熱い意気込みがほとばしる、技術的にも大いに注目するべき名機だ。

「ダグラス商用機」のブランド

 航空機メーカーとしてのダグラスの名前が完全に消滅してから20年以上。いまでは旅客機の名門ダグラス社などと言ってもイメージがわかない人が多いかもしれない。
 しかしダグラス社は1921年の創設以来DC(Douglas Commercial)、すなわち「ダグラス商用機」をブランドに世界のエアライナー業界の最大手として君臨して来た。ダグラス社のエアライナーはいつでも時代の最先端というわけではなかったが、堅実で信頼性が高く、エアラインの儲けを生むエアライナーとして定評があった。
 いまでこそ大型エアライナーの業界はボーイング社とエアバス社の二強対決となっているが、1960年代までの業界の構図はダグラス社対ボーイング社(ときにロッキード社)だった。挑戦者の側がボーイング社で、常に業界第一位として受けて立つのがダグラス社であった。
 ボーイング社のモデル247(1933年初飛行)は他のエアライナーに先駆けて全金属構造の引き込み脚だったし、モデル307ストラトライナー(1938年)はエアライナーとして初めて与圧キャビンを実用化した。モデル377ストラトクルーザー(1947年)は原型のB-29/50の高性能を引き継いでいた。
 しかし当時の世界のエアラインの多くが選んだのはダグラス社のDC-3(1935年)であり、DC-4(1942年)であり、DC-6(1946年)であり、DC-7(1953年)であった。ボーイング社のエアライナーの販売は常にダグラス社に及ばなかった。
 DCシリーズの初期を除けば、ダグラス社が挑戦者の位置に立ったのはDC-8が初めてであったかもしれない。言うまでも無くボーイング707がライバルだった。DC-8は707より後から計画が始まり、常に707を意識して開発された。そしてDC-8のセールスはボーイング707には及ばなかった。それどころか生産は最終的には二倍近い差を付けられた。
 両者の真っ向勝負は次のDC-9対737に続いたが、試合の途中で老舗の名門ダグラス社は戦後派軍用機メーカーのマクドネル社に吸収合併されてしまう。そしてそのマクドネル・ダグラス社も1997年にはボーイング社に吸収合併されてしまい、ダグラスの名は完全に消えた。
 こうしてアメリカのジェット・エアライナー業界ではボーイング社の一人勝ちが確定するのだが、その頃にはヨーロッパからエアバス社という強力なライバルが台頭して来ていた。しかしそれはまた別の物語だ。

DC-8
試験機も量産用治具で製造したDC-8。サンタ・モニカのファクトリーには、パンナム、トランス・カナダ、ユナイテッドなどのマーキングが並ぶ。
Photo:Douglas

プロペラからジェットへ

 結果的にダグラス社最後のプロペラ機のエアライナーとなったDC-7Cは1956年に就航しているが、同社はその何年も前からジェット・エアライナーの計画の検討に着手していた。
 ダグラス社には〝DC-8〞と垂直尾翼に描かれた四発ジェット・エアライナーの1953年の完成予想図も残されている。DC-8の形態は決して先行するボーイング707を真似たものではなくて、ダグラス社独自の検討の結果なのだ。
 1953~54年当時の完成予想図には、イースタンやユナイテッドなどのエアライン塗装の他に、アメリカ空軍の軍事航空輸送隊(MATS)やカナダ空軍のマーキングを描いたものもあり、ダグラス社が広範なユーザーを想定していたことが分かる。
 しかしダグラス社はジェット・エアライナーの開発には慎重だった。もともと保守的な社風に加えて、予想される巨額の開発費が計画着手をためらわせた。レシプロ(ピストン)エンジンのエアライナーの時代の次にはターボプロップのエアライナー時代が来るとの意見が、当時はエアライン側にも根強くあったのだ。
 実際ロッキード社はこの時期にターボプロップのL-188エレクトラの開発に踏み切っているし、大西洋の向こうではブリストル社がブリタニアを開発していた。ダグラス社でもDC-7のレシプロ・エンジンをターボプロップに換えたDC -7Dを検討している。
 一方、ボーイング社にためらいはなかった。アメリカ空軍の次期空中給油機(ボーイングKC-97の後継機)の需要を狙って、1952年5月から自社費用でモデル367-80(通称ダッシュ・エイティー)の試作を開始していた。ダッシュ80は1954年7月に初飛行し、翌8月には空軍がその給油機型をKC-135として発注する。これに力を得たボーイングはダッシュ80の民間エアライナー版707の開発にも着手した。
 ボーイング社が見切り発車で707の開発に踏み切ったことで、ダグラス社としてもジェット・エアライナーの開発に乗り出さざるを得なくなった。ダグラス社がDC-8の計画開始を正式に発表したのは1955年の6月で、367-80試作開始からは3年以上も後のことだった。おまけにボーイング社が空軍からの受注で開発費を補填出来たのに対して、ダグラス社は3億ドルに及ぶ開発と生産の準備の費用をすべて自分で調達せねばならなかった。これらがDC-8の採算点を押し上げた。
 結果的にはDC-8が1972年に生産を終えた時点では、ダグラス社は計画に投じた費用をすべて回収出来てはおらず、計画全体で五千万ドルの赤字を計上していた。DC-8とDC-9の赤字がダグラス社の経営を圧迫し、1967年のマクドネル社による吸収合併へとつながるのだ。しかし部品やメンテナンスや貨物型への改造などで、最終的にはDC-8計画はマクドネル・ダグラス社に2億ドルの利益をもたらしたことは言っておかねばならない。
(続く)

※ この記事は本誌連載「Jet Airliner Technical Analysis」、小社刊「ジェット旅客機進化論」より抜粋、再編集したものです。

ジェット旅客機進化論

ジェット旅客機進化論

著者:浜田一穂 著
出版年月日:2021/09/27
ISBN:9784802210706
判型・ページ数:A5・548ページ
定価:2,860円(税込)

イカロス出版 本書紹介ページ

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