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取材した8月1日、ANA747~748便として折り返すため能登空港のエプロンに駐機中のA320neo(運航再開初便は737-800)。1月1日にはこのエプロンもターミナルビルも、最大震度7の大地震に見舞われた。
通称「のと里山空港」と呼ばれる能登空港。ターミナルビルは被災し、発災当日は館内に入れなかったが、安全確認がとれた翌日からは制限付きで内部に滞在できるようになり、非常電源が立ち上がった。
そのおかげで館内のトイレが使用できるようになり(トイレ洗浄水は元々雨水を再利用)、Wi-Fiが非常に有効な通信手段となった。また、防災道の駅という位置付けとして、毛布、
水、食料、簡易トイレの備蓄も十分にあり、ANA備蓄の毛布とともにとても有効に使用された。
発災当日には多くの車両で埋まり、600人が避難した駐車場。取材時にはターミナルから至る歩道の装飾が震災により倒れたままだった。ターミナルビル前の歩道も目で見てわかるほど路面が隆起していて、震災の凄まじさを知る。
ANA能登空港所長の嶽 承子(だけ・よしこ)さん。
取材時、ターミナルビル1階の天井部では、2階への階段、エスカレーターのつなぎ部分などの補修工事が行なわれていた。
ターミナルビル2階からANAチェックインカウンターがある1階を見る。ビル内は一部のガラスや壁面が破損したが、大規模な損壊はなく、発災二日目から避難場所として使用された。
お隣、小松空港のスタッフにより届けられた全国からの能登空港応援メッセージが書かれた横断幕。
取材日の8月1日、ANA747便で能登空港に到着したクルー。中央に前田機長、左に入江副操縦士、右に客室乗務員の戸張さん。「一時運休していた能登路線が定期便として復便し、お客さまの笑顔を見ることができとてもよかったです」(戸張CA)
取材日、ANA748便として羽田に向かって離陸するA320neo。滑走路の修復状態は機内でも多少の起伏を感じたが、大きく跳ね上がるようなことはなかった。発災時はランウェイ25に737-800が最終進入中だった。
能登空港に隣接する日本航空学園のエプロンでは4機のYS-11地上教材が最大震度7の大地震に見舞われたが、こうして無事な姿を見せてくれた。
撮影協力/日本航空学園
トーイングトラクターによってプッシュバックされるANA748便、A320neo。この画面内にも3名のスタッフの姿がある(整備1名、グランド2名)。能登空港スタッフまたは滞在する支援スタッフしか担当できない作業だ。