特集/本誌より

能登の空路を守り抜いた、ANAスタッフたちの記録【前編】 〜2024年1月1日、最大震度7の能登半島地震発生。あれから8か月後の証言〜

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1月27日、運航再開初便!

 1月27日の運航再開の日。自らが被災したANA能登空港所のスタッフも、駆け付けた支援スタッフも、多くが前日から空港に泊まり込んで朝を迎えた。

 そして、羽田からのANA1451便、737-800が着陸する。最大震度7の大地震で被災した能登空港での運航再開。能登への唯一の空路が再びつながった瞬間でもあった。迎えるスタッフ全員が万感の思いだったことだろう。

 その後、多くのスタッフの努力で能登臨時便のANA1451~1452便は、週3往復のスケジュールを飛び続け、能登の復旧、復興の大きな原動力となっていった。支援スタッフを含めたやり繰りが厳しい中、OMCではこんな苦労もあったという。

「冬場の気候面が厳しい能登空港ですが、臨時便の欠航は発生しませんでした。OMCとしては決められたダイヤを維持することに努めました」(ANA OMC オペレーションマネジメント部・下間靖恵 担当部長)

 週3便の臨時便が安定して飛ぶようになると、次は当然デイリー運航を望む声がたくさん上がる。人々はANA能登=羽田線を再び通常のインフラとして認識したに違いないのだから。もちろん、ANAでは一日も早いデイリー化に動き始める。

トーイングトラクターによってプッシュバックされるANA748便、A320neo。この画面内にも3名のスタッフの姿がある(整備1名、グランド2名)。能登空港スタッフまたは滞在する支援スタッフしか担当できない作業だ。

臨時便扱いのデイリー運航を経て、4月26日からは定期便として羽田とを結ぶ

「定期便再開では能登着の747便と能登発の748便の時間帯設定が大きなポイントになりました。被災した現地の道路状況が非常に悪い中で、道路を中心とした空港アクセスの安全を考えると日没後に就航することはできません。復旧が比較的早く進んでいたのは幹線道路だけですから。また、朝早いと道路状況の悪さから復旧関連の車両などで道路が渋滞することが多く、空港スタッフたちの出勤に影響する可能性もありました」(佐藤リーダー)

「週3便の臨時便からデイリー運航の定期便への切り替えにあたっては、現地の体制を整える必要がありました。たとえば、デイリー化すると氷見市から毎日通うのは時間的に不可能になるのですが、3月31日から能登空港内に設置された仮設の宿泊施設が使えるようになったため、これが定期便としてのデイリー運航の大きな鍵になりました」(古谷リーダー)

 週3便運航とデイリー運航では地上スタッフの動きが大きく変わるが、ANAではそれを乗り越え、4月15日からの臨時便扱いでのデイリー運航、そして4月26日からの定期便としてのデイリー運航にこぎつけている。

 ここまで来ると、次は震災前の1日2往復体制も見えてくる。そこはこの2024年4月から元の永井支店長に代わってANA金沢支店長を務める花井宏樹 支店長が元気一杯に答えてくれた。

「もちろん、元どおりの1日2往復体制が目標です。たとえ年度の途中からでも、一日でも早くそれが実現できるよう努力していますし、関係各所との調整を行なっています」(ANA金沢支店・花井宏樹 支店長)

※この記事は【後編】の関係者インタビューに続きます。

2024年元旦、最大震度7の大地震が能登半島を襲った。その中央部に位置する能登空港にもその震災は容赦しなかった。 発災当日の能登空港では何が起きたのか。その後の能登空港は、能登線はどう復旧したのか。実際に能登空港へと飛んで、関係者のお話をうかがい、被災からANA機が再び飛ぶまでのドキュメントをまとめた。 ※本記事は月刊エアライン2024年10月号特集「徹底研究する、ニッポンの国内線」から転載したものです(登場人物の役職などは8月の取材時点)。令和6年能登半島地震、またこの度の豪雨災害で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

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