特集/本誌より
能登の空路を守り抜いた、ANAスタッフたちの記録【前編】 〜2024年1月1日、最大震度7の能登半島地震発生。あれから8か月後の証言〜
滑走路の復旧工事が始まり、運航再開に向けた協議を開始
1月5日には能登空港を設置、管理する石川県によって滑走路のひび割れなどの応急復旧工事が、空港施設の復旧支援のため派遣された国土交通省TEC-FORCEの助言のもと開始された。すると浮上してくるのが運航再開だ。ANA能登線の運航再開を誰もが待ち望んでいることは間違いない。だが、仮復旧工事が始まったといっても、それはあくまでも自衛隊機だけを対象としたもので、この工事が完成してもまだ旅客機が発着できる滑走路にはならない。国交省からは民間機が使用できる状態になるのは1月25日以降との見通しも示されていた。
1月11日には滑走路の仮復旧工事が完了し、自衛隊機を対象に供用が開始されたが、民間機の離着陸が可能な状態になるのは依然として1月25日以降の見通しのままだった。
「まず、能登空港が空港設置基準の要件を満たす安全性を確保できるかどうか、その復旧を待つ必要がありましたし、空港所のスタッフのなかにも被災者がいました。航空便は『空港と空港』をつなぐ交通機関ですが、空港から先の移動手段まで安全が確保できない限りは運航することができません。また、滑走路が運用再開しても、ボランティアの受け入れすら地元が断らざるを得ない状況下では、決して早期に飛ばせば良いというだけではなく、まず金沢支店において石川県の方針なども入念に見きわめる必要がありました」(ANA OMC オペレーション業務部 リスクマネジメントチーム・佐藤淳矢リーダー)
いよいよ決定した臨時便。週3便での運航再開へ
安全運航の確保はもちろん、運航再開にはさまざまな要因を考慮しなければならなかった。
「1月15日頃から会議でも『運航再開』という言葉を聞くようになります。再開当初の運航は地上のスタッフの出勤の関係からも、臨時便扱いで週3便程度が精一杯ではないかとの見通しでした」(ANA金沢支店・永井幸樹 元支店長)
いわば、ANAの最前線の役目を担い、運航再開のキーとなる地元石川県とのあらゆる調整に奔走したANA金沢支店、当時の永井幸樹 支店長は、その合間に足しげく能登空港に通い、空港勤務者に、避難者に、そして被災した能登の人たちに、その時その時に必要な物資を車に満載して運び続けた。そして、運航再開は言葉だけでなく、方針へと変わる。
「会議で臨時便運航の方針が正式に示されたのは1月18日頃でした。雪という冬特有の気象要件の問題などもあり、運航開始日の決定には時間を要しました」(佐藤リーダー)
それでも、ANAは安全運航という絶対条件を念頭に置きつつ、公共交通機関としての使命と、自らが能登復興のためのインフラの一部であることを片時も忘れることはなかった。
「能登空港所とも協議の結果、臨時便が運航された場合はステーション担当1名、ランプ担当3名、整備士2名、保安検査3名の支援者を能登空港へと集めることになりました。支援のスタッフは富山県氷見市のホテルを拠点に勤務。運航日の前日に空港に出勤して、段ボールベットで泊まり込み、運航日の業務を終えると再び氷見のホテルへと戻るという体制としました。また、ランプ支援者3名のうち2名については、現地の宿泊先確保の事情を鑑みて、往復の臨時便に搭乗して能登に向かう日帰り支援としました。そのため、臨時便では機材の能登滞在が2時間20分という異例のダイヤを設定する必要がありました」
(古谷リーダー)
能登空港所では被災した多くのスタッフのうち可能な限りのスタッフが勤務することになり、サポート体制も固まった。地上の機材、機械も通常の運航体制に戻っている。ターミナルビルの暫定的な補修も済んだ。あとは滑走路の応急復旧工事(旅客機が離着陸できる状態)の完了を待つ状態となった。
「降雪による運航面への影響など気象条件も厳しい季節だけに、そうした天候の見極めの必要性から、臨時便スタートの日程はぎりぎりまで決められませんでした」(佐藤リーダー)
1月23日、滑走路の応急復旧工事を完了して1月25日からの供用開始を発表。そして、ANAでは滑走路の安全確保ができたとして、1月27日からの臨時便運航開始を発表した。機材はボーイング737-800で、ダイヤは以下のとおり。いずれも火、木、土曜の週3往復の運航となった。
●ANA1451 羽田発10:30 能登着11:30
●ANA1452 能登発13:50 羽田着14:55
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1月27日、ついに迎えた運航再開初便!
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