特集/本誌より

デハヴィランド DH106コメット - ジェット化への第一歩に刻まれた、尊い犠牲と技術的教訓(2)

特集「Jet Airliner Technical Analysis」

文:浜田一穂
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Comet Test FUSE
真円断面の胴体が並ぶデハヴィランド社ファクトリー。人が顔を出す中央の胴体は構造試験用に製作されたもので“TEST FUSE”と記されている。
Photo:de Havilland

奇妙なエンジン

 コメットの設計を、現代のジェット・エアライナーを見慣れた目で見ると、なんとも古臭く奇妙に思える。コメットの構造も空力も、ボーイング707以降のジェット・エアライナーの文法からはまったく外れている。
 しかし1940年代末の多発ジェット機、特にイギリスのそれの中に置いてみると、コメットはごく常識的な大型多発ジェット機だ。
 今の人からして一番不思議なのは、左右の主翼の付け根に2基ずつ埋め込まれたエンジンだろう。主翼の前縁にエア・インテイクが開いていて、後縁からはそれぞれのエンジンの排気ノズルが突き出している。
 しかし主翼にエンジンを埋め込むのは当時としては一般的な設計手法で、例えば同時代のイギリスの3V爆撃機、ヴィッカーズ・ヴァリアント、ハンドリー・ペイジ・ヴィクター、アヴロ・ヴァルカンはいずれも主翼内に2基ずつのエンジンを埋め込んでいる。
 流線型のポッドでエンジンを包んで、パイロンで主翼からぶら下げる設計手法は、ボーイング社がB-47爆撃機で広めた。エアライナーではもちろん707が最初だ。
 エンジンをポッドに収めて主翼にぶら下げると、荷重を分散して主翼付け根の曲げモーメントを減らすことになり、構造の軽量化につながる。また重いエンジンを前に突き出すことで主翼のマス・バランスの働きをさせ、主翼のフラッターを予防出来る。
 ポッド式の利点の一つは、エンジンの整備や交換が楽なことだ。コメットの方式だと、エンジンの整備や交換の便宜のため主翼の外板を取り外し式とせねばならず、その部分の外板に構造強度を担わせることが出来なくなる。強度は翼桁だけで負担することになるが、その翼桁もエンジンを載せるために中央に穴を空けた構造にする必要がある。
 コメットのエンジン装備法は降着装置にも影響を与えている。707などの主降着装置は主翼の付け根部分に取り付けられ、車輪は胴体に収納されるようになっている。
 ところがコメットの場合、主翼の付け根にはエンジンが立ち塞がっているので、主降着装置を内側に引き込むことは出来ない。コメットの主降着装置は外側に引き上げられて主翼内に収まるようになっているが、そのためには主翼下面の外板を切り欠く必要があり、構造重量がさらに増大するし、主翼も厚ぼったく抵抗が大きくなる。
 主翼の一番厚い部分をエンジンや主降着装置に占領されているので、翼内燃料タンク容積が小さくなるというのもコメットの方式の欠点だ。

 この他にもいろいろ長所短所はあるが、全体的に言ってコメットのエンジン翼内装備は構造が重く、抵抗が大きくなりがちだ。1950年代以降この方式が廃れて、翼下ポッド装備でなければ胴体後部ポッド装備となったのも当然のことだ。
 コメットの胴体は真円断面で、座席配置は通路を挟んで2列ずつの合計4列だ。707やDC-8に比べたら狭苦しいが、同時代のレシプロ・エアライナーからすれば十分に広い。ただ後には床下貨物室の小ささと、貨物積み卸しの面倒さが欠点になった。
 コメットの初期型の内装を見ていると、いろいろと今のジェット・エアライナーとは違っているので面白い。例えば客室の前方にはラウンジのような向かい合わせの座席が8人分用意されているし、トイレットは紳士用と淑女用が別々になっている。乗員は正副操縦士と航法士、無線士の4人だ。

コクピット
真円胴体の最前方、フライトデッキは正副操縦士に航法士、無線士を加えた4人乗務である。座席の形状が時代を表している。
Photo:de Havilland

狂い始めた歯車

 1947年1月には、デハヴィランドDH106は英国海外航空(BOAC)から8機を受注して、実機の製作に移行することになった。
 同年12月にはDH106の愛称がコメット(彗星)と正式発表された。デハヴィランド社にとってはこの名は、レシプロ双発の高速レーサーDH88に続いて二回目になる。
 DH106コメットの試作1号機は1949年7月27日に初飛行し、同年のファーンボロ航空ショーでいち早く公開された。イギリスとしては得意の絶頂だろう。生産型のコメット1の第1号機(G-ALYP)は、1951年1月に進空した。
 1952年の5月2日はコメットにとっても、世界の航空輸送史にとっても、記念すべき日となった。この日BOACに引き渡されたG-ALYPが、初めてロンドン(ヒースロー)=ヨハネスブルグ間の定期便に就航したのだ。
 当時のプロペラ旅客機の巡航速度は500㎞/hそこそこだから、コメットの巡航速度はその7割増になる。巡航高度も高く飛行時間は約3分の2になり、プロペラの騒音や振動もなく、コメットの飛行は快適そのものだった。BOACは発注を追加したし、他のエアラインも競ってコメットを発注した。

キャビン
コメット4Cを運用したアラブ連合航空(エジプト航空の旧社名)のキャビンイメージは1960年のもの。静謐なキャビンは広さも十分に確保されており、乗客は快適にジェットの旅を楽しむことができた。
Photo:BAE Systems

 しかしコメットの転落は早かった。この年の10月26日、BOACのコメット1(G-ALYZ)がローマのチャンピーノ空港を出発する際、乗員が異常を感じて離陸を断念したが滑走路を外れた。乗員乗客に重傷者はいなかったが、機体はコメット・シリーズ最初の全損となった。
 翌1953年3月3日にはカナダ太平洋航空のコメット1Aがカラチ空港の離陸に失敗、乗員乗客全員(11人)が死亡した。
 この2件とも原因は直接的にはパイロットのエラーだが、初期のコメットの操縦系統がパイロットの過大な操作を招きやすく、離陸時に引き起こしが過大になると主翼が失速、エンジンの推力も低下するという問題点が後になって指摘されている。
 1953年6月25日にはUATのコメット1がダカールで着陸に失敗、全損となった。しかしこれらの事故は迫り来る悲劇の不吉な前奏曲に過ぎなかった。
(続く)

※ この記事は本誌連載「Jet Airliner Technical Analysis」、小社刊「ジェット旅客機進化論」より抜粋、再編集したものです。

ジェット旅客機進化論

ジェット旅客機進化論

著者:浜田一穂 著
出版年月日:2021/09/27
ISBN:9784802210706
判型・ページ数:A5・548ページ
定価:2,860円(税込)

イカロス出版 本書紹介ページ

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