特集/本誌より
羽田=八丈島線就航から70年。日本屈指の離着陸の難易度を誇る八丈島空港で、安全運航を守る伝統と現場の工夫
羽田=八丈島路線が就航70周年を迎えた八丈島空港。離着陸の難易度が日本屈指と名高い同空港で運航を支えるANAスタッフに話を訊く。生活路線だからこそ、そして島民との距離が近いからこそ生まれる、一歩踏み込んだ安全堅持の意識。並々ならぬ“一機入魂”精神が宿っていた。
2025年4月13日に八丈島就航70周年を迎えたANA。1955年(昭和30年)、日本ヘリコプター輸送(ANAの前身)の時代に東京(羽田)=八丈島間で運航を開始。途中、藤田航空への移管・吸収合併も挟みつつ、今日まで路線を維持してきた。就航当初は「デ・ハビランド・ダブ」(11席)などのプロペラ機で運航していたが、現在はボーイング737-800(166席)もしくはエアバスA320(146席)を使用している。
八丈島空港は元々海軍飛行場として設置され、村営の離着陸場として使われたのち開発が進み、1962年(昭和37年)に八丈島空港として開港した。滑走路1,200mで運用がスタート。1982年(昭和57年)には1,800mに延長(現在は2,000mまで延伸している)されたことを機に伊豆諸島初のジェット化を実現した。
現在はANAが毎日3往復全6便で運航。ほかに、東京愛らんどシャトルによる青ヶ島ならびに御蔵島線も運航されている。ジェット機の往来とヘリコプターの離島路線が存在することで、隣島への移動をスムーズにする島しょ間の交通結節点としても意義のある空港となっている。
もちろん生活路線のためにも重要な役割を担う八丈島空港だが、ANAが就航がするなかでも群を抜いて離着陸の難易度が高い空港として有名だ。ANA社内で策定している離着陸の難しさを表す「飛行場区分」では国内空港で唯一、カテゴリー・デルタ(D)に属しており、三原山と八丈富士の2つの山から吹き下ろす風によって、常に気流の乱れにさらされている。
就航70周年を迎え、八丈島空港所所長 塩入康夫氏からも、“安全運航の堅持が第一”が開口一番に出てきた。八丈島では1963年8月に痛ましい航空機事故が発生している。小さな空港のため、その分、利用する旅客との距離が近いという。「あの悲しい出来事を絶対に起こしてはいけない――諸先輩たちから培ってきた、より一歩踏み込んだ“安全”に対するイズムが長い年月にわたって空港関係者に育まれています」と塩入氏は話す。それゆえ、以降60年以上もの間、大きなトラブルなく“安全運航”を支えてきた。そして「離着陸が難しい空港だからこそ、1機に対する思い入れ、1機に向ける魂が先人から受け継がれている」と語ってくれた。
同時に「定時性・快適性・利便性に加え、安全であるためには従業員の健康ややりがいも大事」とも。所長としてのミッションは、「最終的に空港関係者が皆、“ここで働いていてよかった”と思えるよう、全力でサポートしていくことです」と話す。
離着陸の難しさについても訊いた。ステーション業務を行なう八丈島ターミナルビル株式会社 村川陽亮氏は「キャプテンと地上運航従事者、双方の信頼関係が大きな強み」と語る。
「八丈島空港は、360度どの風向きに対しても、着陸可否を判断する制限値がANAの社内安全基準として設定されています。進入OKとなっても乱れた気流を浴びながらランディングを行なうためパイロット自身にかなりの技術が伴うのです。私たち地上運航従事者は、長年蓄積した経験とデータ、そして気象解析により、シップが遭遇する可能性がある状況を具体的に伝え、安全な着陸へと導くのが業務です。METAR(定時飛行場実況気象通報式)による、航空気象情報に表記されない部分までサポートすることもあります」と村川氏。
具体的には乱気流に加え、島特有の“島曇り”と呼ばれる、霧や雲が発生して島の上部で雲が上下する状況の際に、ランウェイのエンドに実際に立って気象条件の変化を目視し、状況判断するという。
「湿気の多い島なので“島曇り”は自然なこと。視界がわるい状況でも、風向きや気温が少し変わるだけでスッと視界が開けることも多い。島特有の気象条件を逆に“チャンス”と捉え、自分たちの目でも見て、総合的に判断します。1回目のアプローチが悪条件であっても、運航支援者がランウェイのエンドまで往復して来る間、上空で判断を待っていただくような依頼をする空港は、八丈島だけかもしれませんね…。八丈島空港の運航支援者は、キャプテンの顔と名前を全員覚えることを目標に、信頼関係の構築に努めています。無線や電文でのやり取りのなかに、『いってくるから!』、『よろしく!』の感覚というか、顔の見える、人情味のあるオペレーションを積み重ねることで、信頼関係を育むことが出来ると考えています」。
八丈島空港の3往復という便数もメリットに捉えているという。「次々飛行機が飛んでくる状況ではないからこそ、今目の前にきている飛行機をきちんと降ろして、しっかりと飛ばすことに集中できます。並々ならぬ思いで“一機入魂”できるのです」。
荷役にも独自の”八丈ルール”が! 声掛けや各署の連携で遅延回復に努める
ステーション業務のほかにも、八丈島だからこそのオペレーションもあるという。八丈島ターミナルビル 受託業務課の岩本友花氏は荷役に関する“八丈ルール”について教えてくれた。
「基本的に737へのバラ積み(コンテナ等に搭載せずにそのまま飛行機に搭載する)となるため、ダイビングや釣竿など壊れやすい、かつアクティビティに関する荷物の積み方に特徴があります。竿のようにしなるものは横向き(飛行機に対して左右方向)が基本。どうしても縦向きにせざるを得ない場合はポジションを考慮し、荷崩れしにくいようにします。それは代々受け継がれています」。ほかにも、大きな遅延の可能性がある場合は旅客スタッフと連携して備えつつ、到着地である羽田のことも考えながら作業を行なっているという。
さらに同課の安形光希氏は、「保安検査場が1つのため、時間帯によっては混雑することが多く、例えば滑走路にきれいな虹が出ております! といったポジティブな情報などでお声掛けを行ない、出来るだけ早めに保安検査場を通過していただくように心掛けております。ランプや旅客をはじめ距離が近いからこそ、各署の連携により遅延回復ができます」と、八丈島ならではの島民との距離感だからこそできることもあると語った。
台風22号・23号後の八丈島の現状、八丈島観光と空港の推しドコロを聞いた
八丈島はかつて「東洋のハワイ」と呼ばれるほど一大観光地としてにぎわった場所だ。1960年後半の「離島ブーム」をきっかけに、高度成長期の観光・レジャーの大衆化に合わせ便数も増加。1970年(昭和45年)には名古屋=八丈島間が就航。さらに羽田空港の混雑緩和のため、9往復中2往復を厚木飛行場へ移す措置を行なうなど、一時は“ドル箱路線”とも呼ばれていた。空路が盛り上がりの一助を担っていたことは一目瞭然だが、ブーム後も便数こそ減ったものの、生活路線としての重要性があり、観光の回復状況も鑑みながら路線が維持されている。満席での運航も多く、3便では足りないという声も上がっている。ただ先日の台風被害により、現在は観光客数が鈍ってるのは事実だ。
だが、ホテルもようやく運営を再開し観光客を受け入れ始めている状況だ。(取材時点では)節水のため温泉には入れず、本当の八丈島の姿とは程遠いとしながらも、「島の活性化にはお客さまがいらっしゃらないことには始まりません。来ていただけたらうれしい」と塩入氏。旅客実績数の部分でも11月末の三連休より復調しているとし、先のダイビングや釣り目当ての観光客は戻ってきているとのことだ。
なお、島や空港自体の魅力についてもそれぞれに聞いてみた。塩入氏は八丈富士からジオラマ風に飛行機の離着陸の姿を楽しめることを挙げてくれた。村川氏は、大物が釣れる海の豊かさ。そして岩本氏は、八丈グルメの魅力に島民の温かさ。さらに安形氏はスカッと晴れた日の空港から眺める八丈富士の雄大さが推しドコロという。
今回の取材では土石流被害を受けた島の南東部、末吉地区も訪れた。ひしゃげた窓枠に発酵した独特の臭いが周辺を包むなか、実際に観光客として八丈島にどう貢献すべきかを深く考える機会となった。寄付はもちろん、八丈島への空路を使った訪島、そしてふるさと納税とさまざまな応援の方法があるので、ぜひ自分なりにできることから始めてみるのがいいだろう。
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